@Fuyunono さんちの愛犬さんをお借りして
#ファンアート を書いてみました。
自宅のエドワードと、嘘冬野さんが出てきます。
#クロスオーバー #キルフェアリー署 #小説---
視界いっぱいの空には、白雲がわずかに浮かんでいる。
秋の公園。夕暮れどきの陽は、ベンチに身を投げ出して首を思い切り反らしている俺の目にも柔らかい。途方に暮れて空を仰ぐ、その手元でウォーターボトルの蓋を回している自分に呆れるやらいっそ感心するやら、何にせよ俺は首を戻してそのボトルに口をつける。公園のベンチは、広場を縫うように通る散歩道の脇に、等間隔で点在している。
黄金《こがね》いろの陽が辺りを照らし、芝生や木々がひかっていた。水を飲み干し、息を吸うと、少し枯葉の匂いがする。あと半月もすれば夏の終わりは冬の始まりに姿を変えて、コートを替える時期が来るだろう。果たして、その時までに、今の事件は終わっているか。
姿勢を正し、座り直す。手帳を内ポケットから抜いて、見るともなしにめくっていく。現実はドラマとは違い、捜査の過程を振り返ったところで急にひらめきが湧いたりしない。
参った——思わず額に手を遣る。両のこめかみを押さえながら手帳に目を落としても、もはや文字とさえ認識できない。こうも目撃情報がないと何から手をつけたらいいか——昔、相棒《カート》に読まされた、小説のことを思い出す。その主人公は体臭がなく誰にも存在を認知されない。「カエル」と名の付いた彼のように、白昼堂々の強盗犯の顔立ちを、誰も覚えていない。そんなことってあるか? 何かの間違いじゃ?
しかし実際店内にいた誰しも似顔絵に協力できず、どんな男(男、ということは分かったらしいが、こうなってくるとそれも怪しい)かも分からないのに周辺へ何を聞けばいいやら。今日も歩いて回ったが、結果は徒労の一言に尽きる。
溜息が出た。今頃カートも、似たような顔をしているだろう。
諦めて、手帳をしまった。しばらく、ぼんやり園内を見つめる。
ふと、熱い呼吸が聞こえた。
正確には、その気配だ。なんとはなしに目を向けると、右方から犬連れの女性——この表現が正しいかどうか、俺は本人に訊いちゃいない——が一人、歩いてくる。女性の膝の下あたりに黒い大型犬がいる。その子の、呼吸だ。うきうきとした。
微笑ましさを感じると同時、自然、身が強張った。犬に恨みはないのだが——恐ろしい思い出はあり——どうしても、身がすくんでしまう。悟らせたいとも思わないから、いつも押し隠そうとするが、飼い主にはバレなくても当の犬にはいつもバレる。人が好きな子だと、大抵は落ち込む。それに傷つくほど優しくもないが、悪いな、という気にはなる。
特に大きな犬はダメだ。何事もなく終わるといいが。
しかし。苦手なくせをして、なぜか俺はその犬のことをまじまじと見つめてしまった。ピンと立った耳、つややかな毛並み。毛は全体に黒いのだが、胸元だけがシャツのように白く、さながら立襟のフォーマル・ウェアを着こなしているかのようだ。暑いのか、疲れているのか、ピンク色の舌をべろりと垂らしハッハと息をしている。その顔が、どうも楽しくてたまらないように見えるのは人のエゴであろうが、さりとてやはりそう見えるから、つい笑みがこぼれてしまう。これが、自分の本心か、条件反射かは微妙なところだ。
犬も、当然俺に気づく。笑い顔が、一段大きくなる。
しまった、——好意を示してしまった? 馴れ馴れしくしておきながら手のひらを返すというのは、犬のルールにも背くはずだ。どうにか内心の怯えを彼——これも当人に訊いちゃいない——に伝えずに済ませたい。自分と同等か、それ以上に鋭い相手に、果たしてそれをやり通せるだろうか。しかも、今のコンディションで。
犬の引く力に釣られ、飼い主もこちらへ寄ってくる。
「どうも」
会釈をした。同じものが返る。近くに立った犬の吐息がスラックスの膝を湿らせる。まだ、覚悟ができず、俺は飼い主に目を据えたまま、
「かわいい子ですね。犬種は?」
「雑種なんです」と彼女。
「なるほど。賢そうですね。大人しいし」
こうなってくると犬に視線をくれないわけにいかない。密かに唾を呑み、ようやっと彼に目を向ける。
犬はいつの間にか座っていた。少しだけ高くなった頭は、俺を一心に見上げている。その、利発そうな凜とした顔に、恐怖と共に焼きついた光景がふとよぎりかけ——不思議なことに、すっと消えた。俺は、しばし虚をつかれる。
「どうされました?」
見咎めた飼い主に訊かれ、「いえ」と答えた。それでつい、下のほうから、犬に手を伸ばしてしまう。いかにも引け腰の、恐る恐るの手つきで。
犬は相変わらずの笑みで、ハッハと俺を見つめていた。手を伸ばされてもじっとして、やがて、首をカクンと折る。長いマズルがあらわになり、鼻先が俺の手の甲に触れた。つん、つん、と確かめる。チラとあげられた瞳は濡れたような艶で、「大丈夫か?」と訊ねてくる。
「うん」俺は小声に返す。犬にだけ。「……たぶん」
すると彼は——もう一度、湿った鼻を押し付けたあと——ぺろりと手を舐めた。意外にも、冷たい。あれだけ外気に触れていれば、なるほど気化熱もあろうものだ。
俺は、しばらく舐められるがままにしていた。それから、ゆっくりと手を返す。彼の顎へさしむけ、その辺りをそっと撫でてみる。二、三度、落ち着かぬ動作をし、やがて自分の中で重なる動作を思い出すと、急に仕草が慣れた。そういえば俺は人間に、こういう撫で方をよくしている。
「犬、苦手でした?」
見ると飼い主が眉を下げていた。俺は首を振る。
「正直、少し。でも、なぜだかこの子は平気です。大きい子は俺ダメなんだけど」
「すみません、最初に訊かなくて……苦手な人には寄りませんから、変だなと思って」
「自分なら平気だと、ピンと来たのかもしれません」
「でも、撫で方、すごく上手ですよ」
「ああ、……猫は飼ってるんで」
もちろんこれは正確じゃないが、比喩的に言えば嘘ではない。
「ああ! この子、ちょっと猫っぽいところがあるかも。わがままなんですよ。構ってあげないと、私のタブレット叩き落としたりして」
「分かります。スマホに勝手に触れたり」俺はそれを人間にやられる。
「だからですかねえ。でも、よかった。かわいがってもらえてよかったねえ」
飼い主は自身もかがみこみ、彼のガラ空きの額を撫でた。
犬は満足したのか、顔を上げ、俺にも確認をとってきた。もうよかろう?と言いたげな黒目に、微笑して頷きを返す。犬はまた破顔し、うきうきした歩調となってくるりと前方へ踏み出した。飼い主が、振り返りながら、俺に手を振る。振り返し、見送る。
ふたりが去ってから、俺はふと右手を嗅いでみた。ほのかに犬の匂いがする。生きものの、湿った匂い。
気分がいい。もう少し、踏ん張ってみるかな。もとよりその予定だが。
立ち上がり、伸びをする。そういえば俺が犬になったら、どの程度のでかさになるだろう? 犬種は雑種に違いないが、——などと考えていると端末が震えた。
〝黒猫〟様からのお達しだ。はいはい、と頷いて、俺は、反対方向へ去る。